人魚

どこで生まれたのかわからない。あの街の光はなんなのか。水面に揺れるピンクだとか黄色の光にはどこか中毒性がある。
湾岸沿いを歩く女と男の声は振動してピンクの色を水面に散りばめる。それは地上にある桜という花に似ている。
女は転んでそこから動かなくなった。1990年2月。夕方から降った雨は地面と水面を平らにした。今、女はこの世界で二人いるように見える。ふわふわした白く温そうな襟巻が悲しそうに風を受ける。
女の磨き上げられた背中を眺める。この世界で生きられないのはあの女も同じなのだ。男が戻ってくる。男は煌びやかなイヤリングを拾い上げ女へと差し出した。
あれが欲しい。腕の時計が時を刻む。ここから出て行く。そっと海に沈む身体は鼓動を早くして、その先の未来に発熱した。


自身の出自をたどり交差する関係を、平成という時代を振り返り写真と映像を用い表現しました。「何かを引き換えにしてでも手に入れたい」という刹那的なバブル時代の有象未曾有は平成の象徴でした。
中でも自身の家族を取り巻く記憶に関わるパブロ・ピカソ作《ピエレットの婚礼》の行方はバブル時代を物語っています。
泡のように消えてしまう時代の欲望は人魚姫のビジュアルに重ねられ、もの言わぬ誰かの視線と交差します。


Homo faber Text

日本では死後に遺体は火葬される。原始的な炎に包まれてこの世での肉体を失う。
古代、その炎はたくさんの蛾を呼び寄せた。まるであの世をつなぐような光に集まってくる蛾を見て、人々はそれを魂の化身であるに違いないと感じた。その姿は時に恐ろしく、まるで生者が必死に栄光にありつく姿にも見えたかもしれない。
西洋やアジアの一部では、蝶や蛾は魂を運ぶ生き物だ、再生のシンボルである、などの逸話がある。子供の頃、玄関で出会った美しい緑色のビロードの虫が「蛾」だと知った時、私はとにかくその仄暗く美しい生き物に興味を持った。蛾は大多数の人々に好まれない。その姿は時に不気味だからだ。しかし実際には翅に多くの光があり、色彩は豊かだ。妖艶で美しい毛皮のようでもある。本来、人は仄暗いものを嫌う故に、その恐ろしさから目が離せなくなる性分だ。蛾はまるで気づくとそばにある人の死のようだ。蛾の佇まいを見つめるとき、それは同時に人の死を見つめるようで、人々の視線を釘付けにしてしまう。

蛾はメタモルフォーシス(変態)という過程で成長する。芋虫から繭になった後、繭の中では一部が液体となる。次に羽化するときは全く異なる形で飛び立つ。このプロセスは昆虫の中でも非常に珍しく、神秘的である。まるで彼らには世界が2つあり、飛び立つときは現世にではなく、膜の中は別の次元と繋がっており、次の次元を次の命で生きていくようにさえ感じる。しかし、このメタモルフォーシス(変態)は美術作品が生まれる過程の中にも幾度となく起こり、私たちは無意識に生まれ変わりのようなものを受け入れているのではないだろうか。例えば人は鍛錬によって歌手になったり、スポーツ選手になったり、私たちは幾度とない人生の鍛錬によって、何者かになっていく生まれ変わりを果たしている。感情も近しい。怒りや悲しみは時間を経てなだらかに形を変える。私たち自身の肉体や意識は彫刻され、別物へと変態していく。私にとって美術とは、それらの目に見えない経験と世界の溝を埋めていく手段の一つである。

デザインコースの学生だった頃にペーパーショップによく通い、「K O Z O」「M I T S H U M A T A」などの植物性繊維から作られた和紙に出会った。和紙は非常に丈夫でテクスチャーが豊かで、それらの質感が蛾とよく似ていた。私はピグメントを使わない技法での色作りを考え、熱を使った作品制作にたどり着いた。和紙は通常のコピー用紙などと異なり、繊維があるので熱で灰になる。植物を燃やす時のイメージと似たような感じである。和紙は繊維の結合力が強く、作品としての強度もある。世の中にピグメントを使う作品は多く存在しているし、何よりこの和紙という素材をまるで人間のように鍛錬し、模索してみたかった。和紙は灰になる過程で、私の手の中で生まれ変わる。変態である。そして、作品は燃やすと何も残らない、ということを意識している。蛾も私たちも、生命には終わりがあり、燃える時が来る。それで良いのである。人体と蛾の作品シリーズは全てが和紙のみで作られている。ピグメントも無く、ただの和紙一枚から作られる。まるで人間の皮膚のように、そして繭の中で起こる変態というプロセスのように。


なぜ虫なのか。

虫めづる美術家たち(芸術新聞社)へ寄稿 (書籍はこちら)

浪人生の時だったか、家の門の前に見たことない生き物がとまっていた。なんの昆虫だかわからないような形状で、人工物の中で一際強いコントラストを放っていた。目が離せなくて、帰宅してすぐに図鑑を調べた。ウンモンスズメだった。今までは絵本やデザインに出てくる蝶が好きで、図鑑で蛾のページを開いたことがなかったのだ。魅了された。ベルベットのような質感で、どこか蝶よ花よと飛ぶ軽やかな蝶よりも、重たくじっとり、色気を纏ったような生き物に惚れてしまったのだ。私はデザイン科に所属しており、よく紙を利用していた。T A K E Oの紙ショールームで紙を探しているときに、目に止まったのが和紙だった。蛾の質感によく似ていた。あの美しい生き物の肖像が作れるだろうか。そこから虫を作る時間が始まった。

私は少しだけ変わった生まれだ。子供の頃からどこかいつも寂しくて、空虚だった。それがなぜかだか少しだけ理解できたのは26歳の春、実父の遺骨を差し出された時だった。私が生まれてすぐ今の父は私を養子にしてくれた。しかし本能とはすごいもので、私の心はどこかでそれに気づいていた。26歳からの私は蛾のように蛹に入って、今また変態の途中のような感覚がある。再度産まれなおすような気分がどこかにある。もしかして死ぬ時生まれるのか、または今が蛹から出てくる途中なのか。虫の知らせというのがあるのかはわからない。あの時、限りなく透明な10代で何者だかわからぬ混沌と寂しさの中に出会ったあの蛾が今の私をここに導いて、世界に連れ出している。


2022年頃受験についての話


受験は辛かったような辛くなかったような、今現在していることのごく小規模なサイクルの始まりだったと思います。勉強をし、頭に溜めたことを右手から確かめるように吐き出しながらデッサンを描いているようなそんな感覚でした。そして自分が特別な人間ではないことがわかったし、平凡にしか描けない色や形をより精密に、そして空気を作り上げていくしかないのだと、そういうことと向き合う時間でした。今も結果は変わらずに、私はその平凡にしか作れない自分が自分にちょうどよく、しかし時々は耳を澄ましたら鯨が背中を通り過ぎるような感覚の世界に行けたりする、そんな時間を受験の時に学んだと思います。


2
普段のモチーフは蛾です。11年間くらいは和紙を焦がすことで色を作り、和紙の蛾を作ってきました。蛾は完全変態といって成長のたびに姿を変化させます。しかも元の形がわからないくらいに。故に世界中で幽霊と言われたり、人の死生と関係があるように見えたり、再生の存在などとして忌み不気味がられ嫌われる生き物でもあります。けれども人というのは互いに嫌い合い、好き合い、その中で出来あがっていく手触りのようなものを元に形作られていくのだと思います。それはちょうど蛾が蛹になって、中で液体化して細胞を再構成していくような感覚で、私たちは何度でも形を変えて次の時間を生きていくのです。最近は蛾を抽象的にも扱います。日常と非日常の合間と死生の間に存在する気配のように扱ったりします。近々はこの抽象的な蛾の持つ意味合いにもより注目し、作品を制作したいと思っています。



VOCA展 Text

高松市美術館 学芸員、毛利 直子様に推薦いただき、VOCA展2024に参加させていただきました。
タイトル「聲のしないまど(无声的窗)」2024・ミクストメディア 240cm×360cm×5cm
撮影・上野則宏

巨大ECサイトタオバオを利用して、100ピースの平面作品を制作した。

約1年間中国に滞在した。中国のドキュメンタリーにある大量解雇、労働問題、若者労働者の現状や死など多くの問題がある背景には、我々日本人労働者や生活者の「安く。早く。」が一体どれだけ影響しているのだろうか。中国の若者は毎年数万人が都心部に出稼ぎに行く。多くの工場では時々事故が起き、若者は命を落とす。知らない街で、家族の電話だけが心の休まりだ。実家に帰るのも一苦労だ。タオバオは中国の人口ほとんどが利用しているであろう巨大ECサイトだ。自身の労働経験によりあらゆるプロダクトを制作するにあたり、このような類のサイトを日本の代理店が利用することを知っている。私はタオバオ上にある、十数件のショップ窓口に問い合わせ、例えば中国語と日本語で「ご飯はちゃんと食べれていますか?」「お母さんの鼻歌を覚えていますか?」などと書かれたオリジナルプリント入りのプロダクトをオーダーした。大体のプロダクトはミニマムオーダーといい、100個から製造が可能である。カードやリボン、さまざまなプロダクトに印刷を施した。最後に全てが揃い、メッセージが印刷されたプロダクトをパッケージし、100ピースの作品とした。見た目は100円ショップのようなチープなものである。しかし、この無言のやり取りの中では、窓口、製造過程、パッキング過程、配達過程、どの過程でも内容を見る労働者がいる。彼らがこれらの印刷を目にしたとき、もし家族に電話をしたならば。起こる可能性のある変化を想像し、制作した。私は自身のアトリエで一点一点パッキングを終え、最後はVOCA展へと出荷する。

背景にはバブル、労働をきっかけに命を絶った自身の家族の存在がある。今までとは異なった表現形態とはなったが、このような作品のアイデアとチャンスをポーラ美術財団様よりいただいたことに感謝いたします。

ウチダリナ