日本では死後に遺体は火葬される。原始的な炎に包まれてこの世での肉体を失う。
古代、その炎はたくさんの蛾を呼び寄せた。まるであの世をつなぐような光に集まってくる蛾を見て、人々はそれを魂の化身であるに違いないと感じた。その姿は時に恐ろしく、まるで生者が必死に栄光にありつく姿にも見えたかもしれない。
西洋やアジアの一部では、蝶や蛾は魂を運ぶ生き物だ、再生のシンボルである、などの逸話がある。子供の頃、玄関で出会った美しい緑色のビロードの虫が「蛾」だと知った時、私はとにかくその仄暗く美しい生き物に興味を持った。蛾は大多数の人々に好まれない。その姿は時に不気味だからだ。しかし実際には翅に多くの光があり、色彩は豊かだ。妖艶で美しい毛皮のようでもある。本来、人は仄暗いものを嫌う故に、その恐ろしさから目が離せなくなる性分だ。蛾はまるで気づくとそばにある人の死のようだ。蛾の佇まいを見つめるとき、それは同時に人の死を見つめるようで、人々の視線を釘付けにしてしまう。
蛾はメタモルフォーシス(変態)という過程で成長する。芋虫から繭になった後、繭の中では一部が液体となる。次に羽化するときは全く異なる形で飛び立つ。このプロセスは昆虫の中でも非常に珍しく、神秘的である。まるで彼らには世界が2つあり、飛び立つときは現世にではなく、膜の中は別の次元と繋がっており、次の次元を次の命で生きていくようにさえ感じる。しかし、このメタモルフォーシス(変態)は美術作品が生まれる過程の中にも幾度となく起こり、私たちは無意識に生まれ変わりのようなものを受け入れているのではないだろうか。例えば人は鍛錬によって歌手になったり、スポーツ選手になったり、私たちは幾度とない人生の鍛錬によって、何者かになっていく生まれ変わりを果たしている。感情も近しい。怒りや悲しみは時間を経てなだらかに形を変える。私たち自身の肉体や意識は彫刻され、別物へと変態していく。私にとって美術とは、それらの目に見えない経験と世界の溝を埋めていく手段の一つである。
デザインコースの学生だった頃にペーパーショップによく通い、「KOZO」「MITSHUMATA」などの植物性繊維から作られた和紙に出会った。和紙は非常に丈夫でテクスチャーが豊かで、それらの質感が蛾とよく似ていた。私はピグメントを使わない技法での色作りを考え、熱を使った作品制作にたどり着いた。和紙は通常のコピー用紙などと異なり、繊維があるので熱で灰になる。植物を燃やす時のイメージと似たような感じである。和紙は繊維の結合力が強く、作品としての強度もある。世の中にピグメントを使う作品は多く存在しているし、何よりこの和紙という素材をまるで人間のように鍛錬し、模索してみたかった。和紙は灰になる過程で、私の手の中で生まれ変わる。変態である。そして、作品は燃やすと何も残らない、ということを意識している。蛾も私たちも、生命には終わりがあり、燃える時が来る。それで良いのである。人体と蛾の作品シリーズは全てが和紙のみで作られている。ピグメントも無く、ただの和紙一枚から作られる。まるで人間の皮膚のように、そして繭の中で起こる変態というプロセスのように。